靖国神社参拝問題について

大学受験も無事終わり、だらだらとした生活を過ごしています。


さきほど、たまたま「たかじんのそこまで言って委員会」を見ていました。

そこで思ったのですが、僕は結構右翼的な考え方をするなと。

たとえば靖国神社参拝問題について考えてみました。



いきなり本題ですが、A級戦犯の合祀を理由に、お国のために散っていった英霊達に対して敬意を表することを否定する権利が他国にあるのでしょうか。

僕は、遊就館に展示されているという花嫁人形の意味をはじめて知り、自然と涙が出てしまいました。
(余談ですが、僕は普段TVや本、映画などで泣くことはありません)

さらに言えば、A級戦犯についても、かの英霊達はそれぞれ自分のことというよりは、日本のことを考えていたに違いなく、
それが他国侵略につながったにせよ、帝国主義の尾をひく時代においてそれは仕方のないことだったのではないでしょうか。

利益線、主権線を自国から遠ざけることで他国からの侵略の防壁とする。
当時ならば当然の考え方のはずです。

それができなかった東南アジアの国々は英仏の属領と化してしまったわけで、もし日本が軍国主義に走らなかった場合、日本も欧米の属領となってしまったと十分考えられるでしょう。

その事態から日本を守ろうとした先人達をA級戦犯と蔑み、その参拝すら他国から否定されるとなれば、彼らに対して申し訳ないとは思いませんか。

韓国・中国の方々が靖国神社参拝を不愉快に思う気持ちは、程度こそ知れませんが、そう思うのは必然と考えます。

しかし、だからといって参拝を否定するに至るのは、やや短絡的かと思うのです。

靖国神社を参拝するのは、決してかつての朝鮮や中国に対する侵略を肯定する意味でではありません。

それはひとえに先人へ敬意を表することであり、それを否定することが誰にできるでしょうか。

そうすることが日本の文化であり、あるいは義務なのです。


韓国でも安重根を英雄として賞賛しています。

僕はそれを悪いことだとは思いませんし、むしろ良いことだと考えます。

もちろん、暗殺と侵略ではスケールの違いはあります。
しかし、スケールの違いがあるといえでも、そこに根差す感情は同じものだと思うのです。

不愉快ながらも認め合うことが大切であり、それが大きく見れば世界のためにもなると考えます。


一方で、日本人には中国・韓国に対して、かつて侵略した負い目を感じる義務があると思います。

同時に、世界中の国々が、例えばイギリスはインドに対して、そういった負い目を感じる義務があると思います。

そして、世界中でそういう感情を持てば、世界はより良い方向へ進むことになると信じます。



この記事へのコメント

この記事へのトラックバック